1860


ルネ・ラリックの誕生
ルネ・ラリックはフランスのマルヌ地方のアイ=アン=シャンパーニュに生まれました。数年後、ラリック一家はパリに移り住みましたが、その後もアイで休暇を過ごしました。ルネ・ラリックは生涯を通じて生まれ故郷に深く愛着を持ち続けました。
1885

パリの最初の工房
父の死後、ルネ・ラリックは職人で宝石商のルイ・オーコックの見習いになりました。この時期に彼はパリの装飾芸術学校に通いながら、ジュエリー製作の技術を学びました。その後、彼はイギリスに渡り、そこでさらに2年間技術の習得を続けました。1885年、ルネ・ラリックはジャクタ、カルティエ、ブシュロンなどの高級ジュエリーメゾンのインディペンデントデザイナーとして認められ、パリのガイヨン広場のジュール・デスタプの工房を引き継ぎました。
1888

古代とジャポニズムにインスパイアされた最初の装飾品
1887年、ラリックはキャトル・セプタンブル通りでビジネスを立ち上げます。1888年には早くも、古代とジャポニズムにインスパイアされた精巧な金細工で最初の装飾品をデザインし、革新的な素材を作品に取り入れることでジュエリー製作の伝統を打ち破りました。当時はオリジナリティと創造性は軽視され、宝石を豊富に含む華やかで豪華なスタイルが好まれていました。ラリックは、彼が使用した素材をデザインの中心に据えました。貴重であろうとなかろうと、素材が持つ力や光、色で選んだのです。エナメルとガラスに加えて、金や宝石、半貴石、真珠層、象牙、角を組み合わせました。1888年、ルネ・ラリックは「RL」のロゴを登録し、彼の工房で制作されたユニークな作品にこの文字を刻みました。
1890

ジュエリーからエナメルとガラスへの転身
ルネ・ラリックの作品は広く知られるようになり、今度はパリのテレーズ通り20番地に3つ目の工房を開きました。ガラスを使った最初の試みやデザインは、この時代から始まります。ラリックはこの時からすでに、エナメルやガラスを、ゴールド、オパール、ダイヤモンド、真珠、アメジストと共にジュエリーに使っていました。
1900

パリ万国博覧会
その後の10年間で、ルネ・ラリックは名声を築き上げました。コンテストで優勝し、作品を展示し、女優サラ・ベルナールなどの著名人のためにジュエリーを制作。「今まで見たことのないものを作りたい」という彼の願望は、「モダンジュエリーの生みの親」として高く評価されました。当時のジュエリーのスタイルに革命を起こしたラリック。社交界の一流人たちに愛されるようになり、宝石職人仲間でも最も著名な人たちから賞賛されました。偉大な王宮からも依頼が入り、世界の富裕層が彼の作品を収集するようになりました。ルネ・ラリックが宝石職人としてのキャリアの頂点に立った瞬間。それは、1900年のパリ万国博覧会に参加したときでした。同年、彼はフランスのレジオン・ドヌール勲章を受賞しています。
1907

フランソワ・コティとのパートナーシップの始まり
1905年、ルネ・ラリックはヴァンドーム広場24番地にショップをオープンし、そこでジュエリーだけでなく、ランブイエ近郊のクレール・フォンテーヌにある自身のアトリエで制作したガラス製品を展示しました。調香師のフランソワ・コティはルネ・ラリックのデザインに感銘を受け、その才能を香水業界で発揮するように頼みました。これが彼らのコラボレーションの始まりです。このコラボレーションは香水業界に革命をもたらし、魅力的なボトルに入った香水を手頃な価格で提供することを初めて可能にしました。それ以降、ラリックは香水分野のデザインを手がけるようになり、最終的にはより産業的なガラス製造技術に専念するようになったのです。アール・ヌーヴォーの巨匠ルネ・ラリックは、アール・デコのガラスアーティストの巨匠へと変貌を遂げつつありました。
1922

ヴェレリー・ダルザスにて制作を開始
ルネ・ラリックは数年の間、ガラス制作に専念したのち、ガラス製品の製造に適した場所と有能な労働力を求めてアルザス地方にたどり着きました。そして、アルザスのヴィンゲン=シュル=モデに「ヴェレリー・ダルザス」のガラス工房を設立しました。この工房は現在でも世界で唯一のラリックの製造拠点となっています。
1925

現代装飾美術・産業美術国際博覧会
ルネ・ラリックは、数多くの建築プロジェクトに参加しました。1925年にパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会は、ルネ・ラリックのガラス職人としてのキャリアのクライマックスであり、アール・デコ・ムーブメントの成功で飾られました。透明ガラスとサテン仕上げのガラスのコントラストによって本質的に表現されるガラス制作のスタイルを生み出し、パティナやエナメルで装飾したり、ステンドグラスを使用することもありました。
1929

コート・ダジュール・プルマンエクスプレスの装飾
ラグジュアリーといえば、ルネ・ラリックの名前が必ず挙がるようになりました。制作の依頼が殺到し、大規模なインテリアデザインのプロジェクトも手がけました。そしてルネ・ラリックは、「オリエント急行」として知られるコート・ダジュール・プルマンエクスプレスの客室の装飾を担当することになったのです。
1935

豪華客船ノルマンディーの内装
ルネ・ラリックは、有名なファッションデザイナー、マドレーヌ・ヴィオネのオートクチュールサロンの装飾、東京の旧朝香宮邸のガラス戸のデザイン、パリのギャルリー・デ・シャンゼリゼを飾った噴水の制作など、数々の著名なプロジェクトの依頼を受けました。その後、豪華客船ノルマンディ号の広大な一等ダイニングルームのインテリアデザインに参加。この海の巨像のために、彼は照明柱とシャンデリアをデザインしました。1935年は、ルネ・ラリックがパリのロワイヤル通り11番地にラリックショップをオープンした年でもあります。
1945

ルネ・ラリック他界
ルネ・ラリック他界後、息子のマルクがメゾンを引き継ぎました。彼はラリックにクリスタルの時代をもたらします。
1977

マリー=クロード・ラリックが事業責任者に就任
マルク氏の娘マリー=クロード・ラリックがCEOに就任。ジュエリーデザインの伝統を一新し、フレグランス事業を発展させました。
1992

ラリックフレグランス発表
ラリックの歴史は、常に香水の歴史と密接に結びついています。ルネ・ラリックの孫娘であるマリー=クロードが1992年にその名を冠したフレグランス、「ラリック・ド・ラリック」を考案したとき、彼女の発想はとても理にかなったものでした。ラリック・フレグランスは、ボトルデザインにおける創造性とフレグランスにおける卓越した品質の追求が融合した、他に類を見ない香水コレクションです。
2008

アート&フレグランス社の傘下に
シルビオ・デンツが率いるスイスのグループ、ラリック・グループ(2016年まではアート&フレグランス)は、ラリックのグローバル展開とクリスタルガラス工房の制作の効率化を目指し、ラリックをその傘下に収めました。
2010

ラリック工房の進化
ラリック・クリスタルガラス工房に新しいタンク炉が竣工し、ヴィンゲン=シュル=モデの近代化への取り組みが始まりました。
2011

ラリック・ミュージアムがオープン
ラリック・ミュージアムが、2年の建設期間を経てヴィンゲン=シュル=モデにオープンしました。ルネ・ラリックとその後継者たちによる650点以上の作品を所蔵する、ラリックの公式ミュージアムです。ジャン=ミッシェル・ウィルモットの設計による建物の光に満ち溢れる空間の中で、ジュエリー、ガラス、現代のクリスタルのコレクションが展示されています。
2011

ラリックメゾン・コレクション発表
家具、ホームアクセサリー、ホームリネンの新しいコレクションを発表。アール・デコにインスパイアされたラリックメゾン・コレクションは、著名なクリスタルガラスの工房と、世界的に高い評価を得ているデザイナー、レディ・ティナ・グリーン氏とピエトロ・ミンガレッリ氏との素晴らしいコラボレーションから生まれました。
2011

ラリック・アートがスタート
ラリック・アートの立ち上げによって、ラリックは著名な現代アーティスト、財団、才能あるデザイナーと専門技術を共有し、他に類を見ない、卓越した芸術作品の創作を開始しました。最初の作品であるイヴ・クラインの「ヴィクトワール・ド・サモトラケ」は、イヴ・クライン・アーカイブスとのパートナーシップにより制作され、ロストワックス技法に必要な伝統的な専門技術を駆使して制作されました。
2012


ファインジュエリーとラリック・ハイジュエリーの復活
2012年、「l'Odyssée du Feu Sacré」コレクションは、ファインジュエリーとラリック・ジュエリーの復活を表し、創業者であるマスタージュエラーのルネ・ラリックのルーツにメゾンが立ち返った象徴となりました。
2014

ノワールプルミエ・コレクション発売
5種類のフレグランスからなる、エクスクルーシブなフレグランスコレクションを発表。貴重な成分で構成されたこれらの香りは、タイムレスな香りの系譜の新しい側面を現します。「ノワール・プルミエ」コレクションの発売により、ラリックはその歴史に新たな章を刻みます。香水ブランドでありクリスタルメゾンであるラリックは、て厳選されたアヴァンギャルドなコレクションを発表しを提供することで、そのラインナップを多様化しています。
2015

ヴィラ・ルネ・ラリックのオープン
アルザスのヴィンゲン=シュル=モデにあるヴィラ・ルネ・ラリックに、最高級5つ星ホテルとミシュラン2つ星のレストランがオープン。内装はレディ・ティナ・グリーンとピエトロ・ミンガレッリによって手掛けられました。1920年にルネ・ラリックによって建てられたこの旧邸宅は、ラリックの芸術的ラグジュアリーとクラフツマンシップを体感できる場として、新たな命を吹き込まれました。
2016

シャトー・ホッホベルグのオープン
ルネ・ラリック邸からほど近いシャトー・ホッホベルグは、ホッホベルグ旧ガラス工房跡地の森林公園の中心に佇ずんでいます。歴史的建造物に指定されているこの荘厳な19世紀の建物は、2016年に15室の客室とスイートを備えた4つ星ホテルに改装され、格別の快適さと落ち着きを提供しています。地元の旬の食材をふんだんに使った料理を得意とするシェフ、アルノー・バルベリス氏による洗練された料理を楽しめる、モダンなビストロも併設しています。
2018

ラリック130周年
ラリックは、素晴らしい伝統を誇りと共にその歴史を振り返ることができます。。130年にわたるフランスのアール・ド・ヴィーブル(暮らしの芸術)におけるノウハウと卓越した創造性が、アートオブジェ、ライティング、家具、ジュエリー、フレグランスなど、タイムレスな「メイド・イン・フランス」のコレクションを生み出しています。
2018

新しいラリックホテル&レストランがオープン
2014年にシルヴィオ・デンツが購入したシャトー・ラフォリー=ペラゲが新たな夜明けを迎えました。レストランを併設したラグジュアリーホテルとして再設計され、インテリアデザイナーのレディ・ティナ・グリーンとピエトロ・ミンガレッリによって装飾されています。10の客室と3つのスイートからなるこのラリックホテル&レストランは、ワイン、クリスタル、ガストロノミー、ホスピタリティという4つの世界が融合する空間です。。このガストロノミックな挑戦に挑んでいるのは、MFO(フランス国家最優秀職人章)を受賞し、ミシュラン3つ星レストランのシェフ、ジャン・ジョルジュ・クラインと共にヴィラ・ルネ・ラリックのエグゼクティブシェフを務めたジェローム・シリングで、。40ほどの客席の、2022年にミシュランの2つ星を獲得したこのレストランを率いています。
2021

ザ・グレンタレット・ラリック・レストラン
ラリック・グループは、2019年3月にスイスの企業家ハンスイェルク・ヴィス氏と共同でグレンタレット蒸留所を購入しました。ザ・グレンタレット蒸留所の中心に位置し、クリーフのなだらかな丘のふもと、タレット川沿いにあるザ・グレンタレット・ラリック・レストランのゲストは、パースシャーののどかな田園地帯で世界トップクラスの美食とおもてなしを愉しむことができます。ザ・グレンタレット・ラリック・レストランの料理長は、ミシュランの星を獲得した、エディンバラのザ・バルモラルのナンバーワンから加わったマーク・ドナルドで、2022年にミシュランの星を獲得し、30席からなるこのレストランでユニークな美食体験をお約束します。
2022

ヴィンゲン=シュル=モデ工房の100年
1922年以来ラリックのクリスタルコレクションは、北ヴォージュ地方の中心に位置する、人口1600人ほどの村の近くの緑豊かな環境にあるヴィンゲン=シュル=モデで制作されています。何世代にもわたる熟練の技が織りなす絶え間ない炎の舞の中、光り輝く素材が結晶化する場所。創業者ルネ・ラリックがヴィンゲン=シュル=モデに設立した工房で、最初の炉に火が灯ったのは100年前のことです。工房は長年にわたり(2008年以降はシルビオ・デンツにより)、絶えず近代化されてきましたが、職人の技法は変わることがありません。 素材は手作業で加工、成形され、溶けたクリスタルは蜂蜜のように「集められ」、プレスされたり、吹き付けられたりします。そして冷却後、カットされ、研磨され、磨かれます。これこそが、光と影の独特のコントラストを生み出すクリスタルのサテンポリッシュ仕上げ、ラリックの職人のトレードマークです。同年、ヴィンゲン=シュル=モデは「Ville et Métiers d’Art」を授与されました。